「まんざらでもない」を使うやつにろくなやつはいねぇ
こんにちはいろいろです。
今回は大発見&日本語文化を変える可能性を秘めてるような気がする記事です。
心してみてくださいね!!
みなさん、日本は好きですか?ひいては日本語は好きですか?
僕は大好きです!こんなに表現の幅があり楽しい言語はないと思います!
英語の”happy”を日本語にすると”嬉しい” ”喜々” ”喜び” ”幸せ” と様々な表現ができますし、それぞれ細かいニュアンスは違ってきますよね?
難しい言語な分、表現の幅がすごいおおきいと思うんですよ!
そんな日本語が大好きなんですが、大好きなぶん少し気になる表現がありまして。
今回はそれについて書いていこうと思います!
まんざらでもない について
みなさん、『まんざらでもない』という表現は知ってますよね。
よくあるのが、男女が周りの人からひやかされて
「まんざらでもなさそうじゃーん!!(笑)」
なんて使い方されますし、みなさんも使ったことありますよね?
厳密な定義としてはこれ
まったくだめだというわけではない。必ずしも悪くはない。また、かなりよい。「結果は―・い」「―・い顔付き」
というわけなんですけども、
僕は”まんざらでもない”の中にすごい気になったことがあったんですよ。
まんざら をないがしろにするな
結果からいうと”まんざらでもない”の中の”まんざら”の部分がないがしろにされてる。
と強く感じたんですよ。
実は”まんざら”にも立派な意味があります。
① 全くだめであるさま。 「 -な腰を禿はおしならひ/柳多留 2」
漢字で書くと”満更”
これがないがしろにされてるっていうのはどういうことかっちゅうと
『”まんざら”という単語は単体で意味を為しているのにも関わらず、わざわざ「~でもない」を付け加えることでしか”まんざら”という素材を使えてないんじゃないか?』
『日本語は”まんざら”という素材一本で堂々と勝負はできないのか?』
という疑問が僕の中でグルグルとうずまいたんです。
これって”まんざら”がないがしろにされてるぞ。と。
分かりやすく料理に例えると、「肉じゃが」っていう料理は食べるのに”じゃが”単体では一切食べませんっていう狂った偏食家とやってることが一緒なんですよ。
つまり僕が言いたいのは、
”まんざら”という言葉単体でしっかり意味を為すものにも関わらず、「~でもない」などの装飾をつけて使い込みすぎていくうちに”まんざら”単体を使う日本語文化が失われてるんじゃないか。
という壮大なスケールでの問題提起になるんですよ!
この論を聞いてみなさんどうですか?
なにを感じましたか?
僕はこの論が浮かんだ時に
『たしかにこの論は、まんざらでもないな・・』となってしまいました。
『・・・おいおいおい、なにがいいてえんだよこいつ』
ってなりますよね。なってませんかね。とにかく次!
まんざらでもない は素晴らしい
さきほどは”まんざら”単体をもっと大事にしろ!という話だったんですが”まんざらでもない”という言葉を否定しているわけではないんです。むしろ好きなくらい。
僕が思うに”まんざらでもない”という言葉は
それに取って代わる表現が存在しない極めてニッチなニュアンスを言い得た素晴らしい表現
だと思ってるんです。
だからさっき『たしかにこの論は、まんざらでもないな・・』になってしまったんです。ならざるを得なかったんです。
これもまた料理の例えでいうなら、
■『”アルフレッド”が食べたいけど素材が無いし”カルボナーラ”に少し生クリーム加えればいいや』
にはなるんですが
■『”肉じゃが”食べたいけど素材がないから”おでん”にじゃがいも加えれば一緒だろ』
にはならないじゃないですか。
【アルフレッド】(生クリームとかバター入れたカルボナーラ的なやつ)
【カルボナーラ】
という風に”肉じゃが”を味わいたいなら”肉じゃが”しかないと同様に
まんざらでもない時は”まんざらでもない”しか無いんです。
”まんざらでもない”は極めてニッチなニュアンスにも関わらず様々なシーンで需要が存在する日本語の特異的存在なんです。
なので、”まんざらでもない”を否定している訳ではない事をわかってもらえたらと思います。なんなら大好きなんです。
まんざら の使い方
さて話がそれましたが改めて言いますと、僕が問題提起してるのは”まんざら”単体の使い方を見直そうよって話なんです。
でも使い方がわかりませんよね。
そこでもういちど”まんざら”について見てください。
① 全くだめであるさま。 「 -な腰を禿はおしならひ/柳多留 2」
上記にあるとおり「全くダメであるさま」や「困難なさま・困り果てるさま」を全て”まんざら"に置き換えてみるところから始めてみるのはいかがでしょうか?
「それはダメ」⇒「それは”まんざら”だ」
「テスト0点」⇒「テストが”まんざら”」
「困ってる」⇒「”まんざら”である」
などなど....
こう見ると”まんざら”は使い道が結構あることに気づきます。
”まんざら”単体で見ると”まんざらでもない”に匹敵するほどニュアンス競合がいないワードでもないんですが、みんなが使えば使うほど言葉は進化するのでいずれは”まんざらでもない”に負けず劣らずなオンリーワンな表現法になるかもしれません。
僕はその可能性が無いこともないと思っています。(あえてまんざらでもないを使わない勇気)
まとめ
ということなんで是非”まんざら”を使っていって”まんざら”を進化させましょう!
更なる日本語の表現の幅が広がり楽しくなりますように・・・!
それではまた!いずれ”まんざら”が陽の目を浴びるその日まで!!