ブログを開設してからいつのまにか1年たっていた
1年前の5月12日にブログを開設してたことに今気づいた。
なので正確に言うと1年1か月。ただしガシガシ更新し始めたのは12月頃くらいからだから実質半年くらいか。
ブログを始めた当初はしっかり収益化を目論んでいた。確か一番最初の記事にも「収益化できるって聞いたんで始めてみました~てへぺろ」とドブみたいな文章を書いた記憶がある。
Amazonアソシエイトの審査も2回受けたし始めた当初は役に立つ記事を書く意識をしていたのにいまやなぜこうなった感がある。
別に収益化を諦めたわけではないし、役に立つ記事っていうのは実は書きやすい。読み手をはっきりと想像し、その仮想のニーズに合わせればいいだけだから。あと書いたあと満足感もちゃんとある。
なのに最近は「もしかしたら家に強盗が入ってるかもしれない」だとか「尿道の秘密 」だとか需要の欠片もない意味不明な記事というか雑記というか、そんなモノを量産している。
でもなぜそうなったか自分ではわかってる。
そういう雑記的なブログに憧れていてそういう文章を書けるようになりたいから。
『スウィーテスト多忙な日々』だったり『冷めた女のブログ』、『ネバーヤングニートの死生観』(もうしばらく更新無いけど)
挙げたのはほんの一部だけどそんな感じ。こういう人たちに国語の先生をやってほしかった。
これからどんな方向性でブログを書いていくかはさっぱり見当もつかない。
また改めて12月に「ようやく1年たちました」と発表しよう。
今度面白いと思うブログ書くやつやろうかな。がんばろ
ってことで今日はお疲れさまでした。乾杯。
「楽園」の類義語
「楽園」という言葉がイイ。
この言葉にはどこか愉快でロマンチズム、さらに気楽な様子を想像させる力があると思う。
(ここでいう「気楽」とは一切の不安が無く、気怠さを毛ほども感じさせない事を言う。)
人によっては色彩豊かな花たちが目の前いっぱいに広がってる様子だったり、キュートな赤ちゃんに白い翼が生えてる見た目をした天使が空じゅうを飛びまわったりといった想像をするかと思う。
十人十色の楽園像があるとは思うがどれもネガティブなものではないはずだ。
僕の場合の楽園というのは、高揚でも消沈でもない気分。自分の周りでは常に優しくてロマンチックな出来事が起きているが、遠くでは恐ろしい事件や事故も起きている。またそれはもしかしたら自分にふりかかる可能性もあるが今はまだ平穏である。
そんな世界での精神状態。
自分でもよくわからないけどとにかく、ロマンチズムと気分の落ち着き、心の腐敗を防ぐ最低限の危機感。主にそれらがある状態を指し示す。
僕にとってはこれ以上ない高待遇。最高。これこそ楽園。
しかしここまで「楽園」の事をさぞかし尊いもののように語ったが実はそうでもない。いや間違いなく尊いのだが、「極楽」や「天国」といった自分達からは想像も及ばないほど遠すぎるが故に比喩表現として使われるほど自分達からは離れていない、ということを言いたい。
「楽園」というのは、実際には現実に落とし込めるほど手の届きそうな場所であり概念である。またそれが「楽園」の素晴らしいポイントなのだ。
ここまで自分でも意味の分からないことをつらつらと書いたと思っているが本題はここからだ。
「楽園」という言葉の類義語を探さなければならない。
なぜか。
上記で一生懸命語った「楽園」の意味する概念が、そろそろ僕の中で崩れようとしているのだ。それも自分のせいで。
これはどういうことかというと、
僕が「楽園」という言葉に感じていた不思議な感覚を今まさに言語化してしまった為に、極めてちょうどいい位置にあった「楽園」が近所のどこにでもあるコンビニエンスストアのような距離まで近づいてきてしまっている、もしくはそうなっていくのではないか、という強烈な不安がたったいま突如として生まれ始めているのだ。
ある日、チャーリーという子が新入園児として僕がいる保育園に入園した。
チャーリーとは適度な距離感で付き合っており、お互いの遊びには干渉しなかった。やはり文化も違えば遊び方も違うみたいだ。
大きくなり年長さんになった僕は、入園当初から大事にしていたオモチャを持って、そのオモチャの良さを拙い言葉でみんなに説明しまわった。
すると僕から離れたところで見ていたチャーリーが鬼の形相でこちらに向かって走り出し僕のオモチャを取り上げた。
なんと、チャーリーはそのオモチャを使いやすく改良し大量生産に取り組み始め、園のみんなに配り歩いたのだ。
もちろんチャーリーは僕にも改良型のそのオモチャを渡し、ニカッと白い歯を見せ笑って見せた。
...いや、このオモチャはもう僕のじゃない。使いやすく改良された偽物だ。もうだめだ。。。
上記を読んでもらったら分かる通りこれは僕の置かれた状況をかいつまんで説明した縮図のようなモノだ。
この物語の中の、チャーリーが鬼の形相で向かってくるシーンは一番の見どころだが、これはまさに「楽園」を失いかけている僕の今の状況と酷似している。
先ほど一生懸命に語り自慢気に見せびらかしてしまった「楽園」はおそらくチャーリーに目をつけられた。いずれは僕の「楽園」もチャーリーに代わる何者かに乗っ取られてしまう。
そうつまり、「コンビニエンスストアの距離感になる不安」というのは、今まさにここでこの記事を公開してしまったことにより何者かが「楽園」という言葉に別の意味や使いやすいシチュエーションなどその他もろもろを付随して偽物の『楽園』を作り、そうして出来上がったニセの『楽園』が、「地獄」や「ヤバい」「卍」などを代表とする実体が定かでない言葉のような感覚で使われ始め世に広く普及させられてしまうという不安なのだ。お分かりいただけただろうか。
きっとおそらくそうなってしまう。いや、間違いない。チャーリーは間違いなくこっちを見ている。
くそ、もうそうなってしまってからでは遅い。一刻も早く「楽園」に代わる言葉を見つけ出さねば。
「まてまて、そもそもこの記事を公開しなければ上記に書いた事の顛末をたどることはない。」
とツッコミたいとこだろうが、実際あなたならどうだろう。既に2000字近く書いていながらここまでの時間と努力を無かった事に出来るだろうか。いや出来ない。ここまで書いたら流石に引き下がれないだろ。
いくら「楽園」の為とはいえ・・・
....かといって正直今から「楽園」の類義語を探す元気はない。。
ましてやここから類義語が並べられていくのか、と思うと読むほうも読む気が失せることは自明だ。(こう見えて読者を意識している)
結果僕は物語の中の「僕」のように偽物のオモチャを渡されそれに甘んずるほかない。偽物の『楽園』を受け入れるしかなかったのだ。
...あれ、楽園の類義語を探そうとしたのになんでこうなったんだろう。
全く意味の分からないイカレた文章をここまで書けるとは自分でも思ってなかった。
いや、ここまで読んでくれた人本当にありがとう。
本当にみなさん今日も一日お疲れさまでした。(?)
『シャッター・アイランド』がヤバすぎた
この前見た『シャッター・アイランド』という映画が面白過ぎた。
自分史上一番にくるくらい面白かった。
みんなにも是非見てほしい。でももうすでに見てる人もいると思う。
そこで今回は、見てない人は見たくなるし、見た人は共感できるしっていう記事を書くべく、シャッターアイランドの印象に残った3つのシーンを紹介したい。
ギリネタバレしてないかネタバレしてもオッケーなところしか書いてないから大丈夫だと思う。不安な人は読まないほうがいい。
まずはあらすじからチラッと紹介。
あらすじ
精神を病んだ犯罪者を収容する施設アッシュクリフ病院があるのは、ボストンの沖合に浮かぶ孤島”シャッターアイランド”。そこで、レイチェル・ソランドという女性患者が、鍵のかかった病室から忽然と姿を消す。
連邦保安官のテディ・ダニエルズ(レオナルド・ディカプリオ)は、失踪事件を捜査するべく、新しい相棒であるチャック(マーク・ラファロ)とともにシャッターアイランドを訪れる。我が子を溺死させた罪で収容されていたレイチェルだが、その姿は島のどこにもなく、島から脱出した形跡もなかった。
島にいる患者全員が精神病な為かなりあたおかな挙動や仕草で、不気味さをより感じさせる。目ん玉真っ黒なレプティリアンみたいなババアがこっちに向かって手を振ってるシーンは狂気の沙汰だった。
唯一の救いはレオナルドディカプリオの相棒にMCUの「ハルク」を演じるマークラファロがいることだ。いざとなったらハルクになってしまえばいいのだから案ずることはない。と自己暗示をかけていた。
さてさっそく紹介していきます。
胸糞悪くて震えるシーン
追っていた事件が解決しテディが家に帰ると、3人の小さい子供たちがどこにもいない。
家裏の湖のほとりに建てた小屋で吊り椅子に座っている妻ドロレスに子供の行方を聞くと「学校」だという。
「今日は土曜日で休みだろ?」と尋ねるも「私の学校は違うの」と意味不明な返答。
ふと湖に目をやると何かが浮かんでいる。まさかと思い湖に飛び込むとそれは自分達の子供だった。既に3人とも死んでいた。
犯人は、最愛の妻ドロレス。彼女もひどく精神を病んでいたのだ。
なんとか子供を岸に引き上げ終えたあと、悲しむテディにドロレスは寄り添い「テーブルに座らせましょう、乾いた服に着替えさせて。私たちのお人形よ」となんとも明るく話しかけた。
それに耐えかねたテディは「俺の事を愛しているなら黙ってくれ・・・」と言うと、ドロレスは突然泣きだし「愛してるわ。私を楽にして」と言う。
テディも泣きながら愛してると言い、ドロレスを撃って射殺。
4人の死体に囲まれたテディが「ウワァァァァァァァァァアアアアア」と言ってフェードアウトしていくシーン。
カーッ!!!胸糞悪い!!!
胸糞悪くて震えちゃうよ。。胸糞映画の代表作『ミスト』のラストシーンを悠々と超えてくる胸糞の悪さ。ほんと救いようがない。
「テーブルに座らせましょう、乾いた服に着替えさせて。私たちのお人形よ」
というイカレ発言はあたおか過ぎて脳が処理できんくなるシーン。
ただ逆に「私を楽にして」は最後正気に戻ってるよね。えぐいてぇ。
でもそれを知りつつなお、怒りと悲しさと優しさでドロレスを撃つテディ。
やっべぇ、、誰も救われねぇわ。。
オイオイオイオイオイ....オイオイ?オイオイオイ?オイオイ!!オイオイオイ??オーーーイ!!ってなるシーン
いよいよ島の謎の全貌に気づき始めたテディ。相棒のチャックにも疑心が生まれ、単独行動で秘密があると思われる島の灯台に向かう。しかし灯台は荒波の海に囲われており断念せざるを得なかった。
仕方なくさきほどチャックと別れた崖の上に戻るとチャックの姿がどこにも見当たらない。ふと崖から下を見ると崖下の岩で倒れているチャックを発見。
落ちてしまったのか!?と、テディはなんとか崖下に降りたものの、チャックに見えたのはなんと岩に張り付いたただの苔だった。
おかしい、、と狐につままれたような表情でとりあえず戻ろうと上を見ると崖の途中に灯りが漏れる洞窟を発見。
なんだあれは、と洞窟まで上ろうとすると岩穴からウジャウジャネズミが出てくる。3万匹くらい出てきたネズミを避けながらなんとか洞窟にたどり着くと、脱走したという人物「レイチェル・ソランド」の姿が・・・
怒涛の展開すぎてもう意味わからん。
まず、チャックに疑心を抱いて単独行動するところ←オイ
次に灯台に行けなかったというところで←オイオイ...
戻った場所にチャックがいない←オイオイ...?
崖下にチャック←オイオイ!?
チャックはただの苔←オイオイオイ・・・?
洞窟発見←オイオイ!!
ネズミ←オイオイオイ??
レイチェル・ソランド←オーーーイ!!!
多分全部合わせると
オイオイオイオイオイ....?オイオイ!?オイオイオイ?オイオイ!!オイオイオイ??オーーーイ!!
になる。もうほんとそんな感じだから。
でも疲れないのよ。ディカプリオが演じるから見てられんの。
マークラファロオォォォォオオオ!ってなるシーン
ようやく秘密が隠された灯台にたどり着いたテディ。
螺旋階段になっている灯台を登っていくと途中途中で部屋があったが空っぽの部屋。なにもない。
ついに頂上の部屋にたどり着きドアを開けると、中には病院の院長であるコーリー医師(ハゲ)がいた。
コーリー医師は全ての真実を話したが、テディは嘘だ、と話を認めず激高。そこでコーリーは「シーアン」という医師を呼んだ。(物語序盤でも出てくるシーアンの名前だが休暇中ということで出てこなかった。)
しかし、ガチャリとドアを開けて入ってきたのはなんとチャックだった。チャックは先ほど崖のシーンから行方不明だったはず。。
さらにコーリー医師はこう続ける。
「彼がシーアン医師だ」
ん?
んん??
え?
…あっやっぱそういうことなのか!!?
そういうことなのか!!!???
マークラファロォォォオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!
きっといろんなマークラファロォォ!!があると思うがオレの中では
やっぱおまえイイやつだったのかよマークラファロォォォオォ!!のマークラファロォォォオだった。
これは、見る人によっちゃマークラファロに食われた映画っていうくらいのマークラファロ映画だとおもう。
まとめ
終わった後は考察サイトを開け散らかします。
『ファイトクラブ』を見たときと同じ感覚です。
どうでしたか?見たくなりました?共感してもらえました?
それにしてもシャッターアイランド面白かった~。もっかい見ようかな。
ほかにマーティンスコセッシ監督で面白い映画あったら教えてください!
それでは!!マークラファロ~!(乾杯の音頭)